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2009年04月19日

『イギリスにおける労働者階級の状態』

2009年4月8日
『イギリスにおける労働者階級の状態』
フリードリヒ・エンゲルス  (1845年 大月書店)
當銘由樹

(概要)
 18世紀のイギリスで起こった産業革命によって、労働者に様々な影響が与えられた。農村で農業を営んでいた人々は、紡績機が手工業から蒸気機械工業へと発達していった産業革命によって、ブルジョアジー(有資産階級)とプロレタリアート(労働者)の階級が作られた。ドイツ出身の筆者が、ドイツと似たようなイギリス労働者階級の変遷を、取材や資料をもとに検討している。
 産業革命前、農村では糸の原料を生産し、それを加工して生活している労働者が多くいた。彼らは相談やもめごとがあると、地元の有力な地主に頼り、家父長制的な関係を築いていた。しかし、産業革命後、農村の労働者は都市部に流入し、都市の資本家に労働力を与えることでしか市場に参画できないようになってしまった。資本家は労働者が生活していく上で最低限必要な賃金しか与えず、労働力を搾取していた。

○資本家は、労働者を生産するための材料としてしか見ていない。
○労働者は阿片や赤土を混ぜられた食料など、質・量ともに粗悪な食べ物しか食べられない。
○労働者の住む家は、人間としての自覚をないがしろにされるような不衛生、不潔、通気が悪く、一つの部屋に家族が押し入れられ、そのため熱傷や感染症が起こっていた。
○生活の中でブルジョアジーとプロレタリアートが接しないよう、建物の作りが隔たった作りになっていた。
○労働者の子どもに対する教育は宗教派閥によって左右され、読み書きすらできない状態であった。

このような生活の上、いつ首にされるか分からない不安な状態で重労働を強いられ、精神的にも肉体的にも追いやられていった。生活環境も悪いので、人間性を失い、堕落し、知的にも道徳的にも生きていけない。
また、手工業から蒸気や機械工業に変化していくにつれ、プロレタリアートがブルジョアジーに対する反抗は2つに絞られる。それは、内部的および外部的な反抗か、酒である。プロレタリアートはこの2つによる抵抗しか術が無かった。

ブルジョアジーの富の搾取により、労働者は財産を有することができず、自分の身は自分でどうにかするしかない = 原子(個人)に解体した社会
⇒ これら諸事情にあったプロレタリアートは、自分達の労働環境や生活環境に対して意識を強め、やがて、ブルジョアジーに対する労働者運動へと発展していく。

○ これまでブルジョアジーから行われてきた富の独占や搾取に対して、プロレタリアートは社会の生産を担い、社会を形成しているという自覚の下、一人の人間として平等に扱われることを欲し、また、ブルジョアジーによる賃金の引き下げへの拒否や長時間労働の時間短縮などを要求していった。
○ トーリ党議会の発布した一つの法律が役立った。この法律は、1824年に制定され、これまで労働者相互間の団結を禁止していた全ての法令を廃止した。また、選挙法改正法案によってブルジョアジーとプロレタリアートとの対立が法的に承認された意義ある法律であった。労働者は、これまで貴族とブルジョアジーにしか与えられていなかった「結社の自由」の権利を手に入れた。このため労働者達は、これまで秘密の団体として伏せていた組合を明らかにした。その組合は、組合員に忠誠を誓わせるとともに、名簿、金庫、簿記、および、地方支部を持つなどで、法律制定をきっかけに、イギリス全土に広がっていった。労働者にとってこの組合は、一人一人の労働者をブルジョアジーから守るものであり、ブルジョアジーに対しての抵抗の手段となった。

組合の目的
①賃金を確定すること
②集団を作り、力として雇い主と交渉すること
③雇い主の利益に応じて賃金を規制すること
④適当な時期が来れば賃金を上げること
⑤一つの職業における賃金は、全てどこでも同じ高さに保つこと

 これまでブルジョアジーの法律であったものを、プロレタリアートの法律に変えようと提案された法律が「人民憲章」である。この憲章により、ブルジョアジーに対抗するプロレタリアートの政党として、チャーティズムができた。


 このようにして、ブルジョアジーの富の搾取に対抗するべく、プロレタリアートは労働運動や労働組合を結成するなど、プロレタリアート全体に共通する目的を持ち行動していくことで、労働者としての権利を獲得していったのである。


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Posted by e061246 at 22:29│Comments(0)ゼミ
 
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