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2008年06月27日

ナウシカとタエ子、それぞれの矛盾

2008年6月13日
ナウシカとタエ子、それぞれの矛盾
當銘由樹

(概要)
『おもひでぽろぽろ』は、高畑勲監督・宮崎駿製作という、日本のアニメ界を代表する2人が作ったアニメーション技術の点では完成度の高い作品で、日本アニメ史上屈指の作品と言える。しかし、その内容は破綻しており、映画としては失敗作である。

破綻①映画の構成における破綻
映画の本筋に、タエ子の小学校5年生当時の回想が絡むという構成になっているが、本筋と回想場面とは内容的にほとんど関連がなく、多くの回想場面は何の必然性もなしに挿入されている。
現在の場面と過去の場面が異なった画調で作画されているため、映画全体が相互に無関係な2つの部分に分裂しているような印象を与える。
破綻②テーマの論理的な破綻
高畑は「人間の営みの根本」である農業に接することが、自己確立を促すとしている。ここでの高畑が考えている「人間の営みの根本」の設定が間違っている。
登場人物の心理的にも農業に憧れるということが理解しがたい。

高畑は戦後民主主義者・・・日本の西欧化を目指して伝統的・封建的なものを否定する近代主義的な思想である。また、国家的統合を否定的にとらえている。従って、個人主義的性格の強い思想である。しかし、実は集団主義的な側面を持っているという矛盾を抱えている。

戦後民主主義は、「個人主義を標榜した集団主義」である。

集団主義的戦後民主主義者たちは、統合を欲しつつも国家的統合を否定的にとらえているため統合枠がない。そこで、前近代的・封建的な伝統共同体である農村を統合枠とした。農村は集団主義的であるが、集団主義的戦後民主主義者はもともと個人主義や自由主義を求めてはなく、農村では個人主義が許されないことは問題ではない。
→近代主義である戦後民主主義を信奉しつつ、前近代的な農村を理想の共同体として評価している。農村賛美は、戦後民主主義のレトロである。高畑は自分の農村への憧れもレトロであると気付いている。


『風の谷のナウシカ』は、環境開発反対の立場から、農村共同体を称賛しようという宮崎のテーマがある。彼は、環境開発反対がヒューマニズムに反しているということを認めたくない。その理由は、彼の農村に対する憧れを全否定することになるからである。
→その結果、風の谷の人々にも腐海の虫たちにも愛情を寄せるナウシカがとても中途半端な考えの持ち主になってしまい、ナウシカ、ひいては『風の谷のナウシカ』の作品の魅力を減退してしまう。

『おもひでぽろぽろ』、『風の谷のナウシカ』からわかる2人の考えの根源
○高畑や宮崎の農村への憧れは、近代主義的な思想である戦後民主主義を信奉し、かつ前近代的な農村共同体に憧れるという思想からきている。
○国家の存在を直視できないという戦後民主主義の特性こそが、「集団主義的戦後民主主義者」たちに、国家に代わる統合枠としての農村への憧れを引き起こしたのである。

問題の根源は戦後民主主義である。



(論点)
・「また大人のタエ子を農村へと導くのが過去の子供たちであるという点は、問わずがたりに農村賛美と『レトロ気分』とが通底していることを示唆している。」とあるが、なぜそう言えるのか。
・環境保護を主張する人が、反ヒューマニストと言いきれるのか。


以上


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Posted by e061246 at 23:00│Comments(0)ゼミ
 
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