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2008年06月27日

2章 ロックの時代の終焉とポピュラー音楽の産業化

2008年6月6日
2章 ロックの時代の終焉とポピュラー音楽の産業化
   當銘 由樹

(概要)
1、 産業化するポピュラー音楽
70年代 『サウンドの力』『ロックの社会学』(サイモン・フリス著)『サブカルチャー』(ディック・ヘブディジ著)など、多くのポピュラー音楽研究が登場した。
     ロックミュージックが巨大な産業へと回収されていく時期でもある。

60年代のロックの歴史と終焉
   ビードルズ 同時代の文化的変容にしたがって、様々な音楽上の実験を取り入れる。
・サイケデリック・サウンドの導入 ・最新の録音技術の駆使 ・『ホワイト・アルバム』に見られる同時代の実験音楽の影響を与える。

ビートルズに端を発した実験的な展開は、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルによって代表されるハードロックやヘビーメタル、プログレッシブ・ロックによって引き継がれた。
ロックの実験性とラディカルな身振りを利用しつつ、音楽産業全体の制度を確立した。

70年代中頃  イーグルスのヒット曲「ホテル・カリフォルニア」、エアロスミスやクイーン、キッスが、ハードロックのテイストを保ちつつも、一般のオーディエンスを獲得し、さらに「産業ロック」「商業ロック」と揶揄されながらも、ジャーニー、フォリナー、ボン・ジョヴィといったグループがスーパーグループとして成功をおさめる。
→この過程でかつて60年代のロックに見ることができた政治的な身振りや、巨大産業化するロックビジネスに対する疑いはほとんど消え去ってしまう。

産業化の影響
60年代   ジャズ、フリージャズ  ブラック・ミュージック
           ↓            ↓     
70年代    クロスオーヴァー  +  ディスコサウンド  = ネルソン・ジョージ氏は「リズム&ブルース(R&B)の死」と語っている。

ジョージ氏は70年代を、白人たちによって黒人の遺産が乗っ取られていく時代だと感じている。「ブラック・ミュージックの商業化」「白人による黒人文化の搾取と包摂」とがセットで描かれている。これは、ブラック・ミュージックに宿る黒人性を過度に称揚するあまりに、音楽の雑種性が持っている可能性を拒否する傾向にある。
→ロックに代表されるポピュラー音楽の巨大ビジネス化とブラック・ミュージックのクロスオーヴァー化、ディスコ化は、同じ一つの資本の再編成の表と裏である。「ロックの終焉」「R&Bの死」として表れた。

2、 70年代の日本のポピュラー音楽
日本のポピュラー音楽に、英米のロックの影響はあまり見られない。
ウッドストックの影響を受けて日本でも70年~71年にかけて「10円コンサート」「日本ロック・フェスティバル」が開催された。
しかし、「ロックとは外国の音楽(洋楽)」という意識が当時は浸透していた。
当時の有名な論争に、ロックを英語でやるか日本語でやるかという議論がある。
→これは、ロックがまだ日本の音楽として定着していなかったことを示している。

ウッドストック的な政治の時代の気分を反映しつつ、若者たちの支持を集めたのはロックよりも「フォーク」である。
フォーク 60年代には時代の暗部に目を向け、積極的に社会問題を取り上げる。
     70年代になると、このような政治性も急速に衰える。
72年の吉田拓郎「結婚しようよ」を契機に、それまで商業主義批判をしていたフォークミュージックは、「金のなる音楽」として商業主義の中に回収されていく。

70年代中期には、荒井(松任谷)由実がアッパーミドル的な郊外メンタリティを持ち込み、フォークの貧乏くささや内向性を一掃した「ニューミュージック」のブームが到来した。
60年代~70年代の歌謡曲の変容
・音楽以外の視覚的な特質(スター性)が、ポピュラー音楽のウリとなった。
・当時のフォークソングは、曲調やメンタリティ、テーマにおいて多くの点で演歌や歌謡曲と共通点を持っていた。
このように、60年代終わり~70年代終わりのポピュラー音楽の変化を、ただ「フォーク」から「ニューミュージック」への音楽ジャンルの変遷だけで語ることは難しい。またその一方で、英米的なロックは日本に定着することはなかった。
こうしたポピュラー音楽の変化は、音楽の楽曲の内在的な発展や変化だけでなく、音楽を取り巻く社会や政治の変化、とくに若年層のライフスタイルの変化、消費社会と呼ばれる新しい時代の到来、そして何よりも、その全体の構造を支える経済の変化によって理解されるべきである。この点においては、海外のロックも日本のポピュラー音楽も、その音楽の傾向の差異以上に多くの共通点を持っているように思われる。


3、 音楽産業の変容
家庭用のステレオオーディオ装置の普及、LPレコードの一般化(増加)は音楽産業を飛躍的に発展させ、その構造を決定的に変化させた。
60年代はスーパースターの時代で、現在はかつてのようなスターがいない。
理由のひとつ→当時レコード一枚一枚が相対的に貴重であり、それなりの重みを持っていたからということが挙げられる。

アルバム主義への移行
70年代のロックの一つの方向性として、シングル盤のチャートインを目指すのではなく、ある特定のテーマやコンセプトの下にLPレコード制作を行う。
もともとのLPの聴衆は、クラシックファンを中心にしたものだった。
                  ↓コンセプト・アルバムの登場
      ロックファンにもLPというメディアの重要性を認識させることとなった。

60年代はプレスリーやビートルズ、ローリング・ストーンズなどのカリスマ的なロックスターの時代である。一方、70年代は、それほどカリスマ性を持ったスターがいない。
レッド・ツェッペリンやディープ・パープル、キング・クリムゾンやピンク・フロイドといったカリスマ性をもったバンドのそれぞれのファンは、ハードロックやヘビーメタルといった趣味によって分断されていて、お互いの交流は決して活発とはいえなかった。

ビートルズはティーンエージャーの女の子向けのバンドとして人気を博し、その後、世代や性別を越えた支持を集める。これは、70年代を通じてポピュラー音楽産業がゆっくりと細分化し、世代や趣味、性別や文化背景に応じて細かくターゲットを類別していることを意味している。

日本のポピュラー音楽
70年代に登場した吉田拓郎や井上陽水は、ラジオを中心に活動した。ラジオ、特に深夜番組を聞く若年層に完全に特化した音楽である。
→これは、商業主義を否定することではない。ある聴取層を切り捨て、より世代固有の趣味に特化した音楽を作ることによって、視聴者を類別するとともに、趣味別に再編成し、結果的により多くのレコードを販売するという戦略として理解すべきである。
異なった趣味の対立やバンド間の音楽性の対立は、音楽という商品の差異化の戦略でもある。70年代に音楽以外の領域でみられた産業の再編成に対応したものである。

4、 フォーディズム的な生産様式とその終焉としての68年
68年~73年の音楽以外の全体の変化
●産業構造の変化
戦後の具体的な物質的生産を行う工業、製造業を中心とするいわゆる第二次産業から、物質的な生産を行わない金融やサービス、情報産業といった第三次産業へと産業が高次化していった。
→この移行は、音楽産業そのものの位置づけの変化を典型的に示している。
60年代の音楽産業は、音響電機メーカーに従属していた。音楽ソフトはあたかもオーディオ機器を売るための販売促進的な、二次的な存在であった。
70年代の市場の拡大により、製造業の資本傘下からレコード産業は一定の独立性を確保した。
→音楽産業の拡大は、ソフト産業のハード産業からの独立も促した。

フォーディズムからポストフォーディズムへの移行

(フォーディズムのプラスの面)
フレデリック・テイラーの『科学的管理法』の理念をヘンリー・フォードが最初に応用したのが1914年である。この年から60年代の終わり頃までをフォーディズムの時代と考える。
フォーディズムとは、アメリカの自動車メーカーであるフォードが採用した生産方法である。分業、オートメーション、日給制、週休制といった言葉を産んだ。
労働者たちの脱スキル化を促進し、一定の基礎知識さえあれば誰でも生産に従事できるようにした。また、効率的に労働を再組織化し、かつてない大量消費のしくみを提供した。
同時に、20世紀のアメリカの生活様式を決定的に特徴づけた。
労働者を単なる生産者ではなく、同時に消費者としてみなしたのである。

国家そのものにその性格の変化を要請した。
例)ケインズ主義、福祉国家政策

終身雇用制度、余暇制度、各種福利厚生制度、保険やローン制度が整備された。

労働者は、消費者として自動車のような高額商品を購入し、週末に楽しむ時間を手に入れた。
このフォーディズムは20世紀前半の資本主義の発展に大きく貢献した。
    
(フォーディズムのマイナスの面)
福祉国家政策を取り入れたイギリスで、60年には「英国病」という長期の経済低迷に直面した。アメリカやフランスなど他の国でも、フォーディズム的な生産体制にほころびが見られるようになる。

68年の両義的な評価
学生運動に対する国家の抑圧の勝利と、ポストフォーディズム的な生産の全面化がある。

ウッドストックの両義性
音楽が世の中を変える力があることを示したことと、ロックがもはや若者のサブカルチャーのひとつではなく、巨大産業になってしまったことを決定的にしたことがある。

68年を敗北と見るだけではなく、その後のポストフォーディズム的な生産様式を68年の遺産とみている。

5、 ポストフォーディズム的生産体制
これまでの農業や工業の生産の中心に、非物質的な労働が分かちがたく入ってくる。
例)自動車メーカーのトヨタ
自動車の工場生産は行われているが、ジャスト・イン・タイム、かんばん方式という生産ラインは高度な情報管理を行っている。また、過剰在庫を抱えないように最大限の情報管理とマーケティングを行いつつ、世界に分散した部品工場の品質管理を徹底している。結果として、非物質的な労働が圧倒的になる。
このポストフォーディズム化は、かつてのように安定した分業に基づいて構成された集約的な工場生産から、国内や海外を含めた小さな拠点へと分散化され、外部化された。この結果、生産過程自体がフレキシブルになり、市場の急速な変化に対応して組み替え可能な状態へと再編される。
→フリーターは、70年代に始まったこの産業の構造転換に端を発している。

こうしたポストフォーディズムは、多様な趣味嗜好に応じた微細な差異化に対応したものである。
同時に、20世紀後半のライフスタイルを形成することとなる。

労働と余暇との関係の変化
労働と余暇の区分は融解していく。非物質的な労働は、工場という物質的な生産拠点から労働者を解放するが、その代わり、24時間精神的に労働に束縛する。
労働の均質性が求められ、個性や想像力を労働において積極的にアピールすることが求められた。

70年代のロックの特徴
1000万枚のレコードセールスを記録したミュージシャンが、あっという間に消費のサイクルに巻き込まれて、忘れ去られてしまう。その瞬間に消費されるものとなった。
70年代は、その商品ラインアップが圧倒的に増大し、サイクルが決定的に加速した。そうした変容が、労働や余暇、資本の大きな変化の中で起こった。
100%経済に結びついている創造的な活動が、あらゆる労働の理想的なモデルになった。かつては労働のカテゴリーから周縁化されていた芸術的な営為が、労働の活動の中心的なモデルになった。
→余暇を含むあらゆる創造的な活動は労働に、そして芸術活動を含むすべての生産活動は資本主義のダイナミズムに包摂されていく。


(論点)
・「音楽の雑種性がもっている可能性を拒否する傾向にある」(51頁)の可能性とは、どういった可能性なのか。


以上


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Posted by e061246 at 22:56│Comments(0)ゼミ
 
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